メジャー記録の中で、もっとも破られにくい記録を挙げよ!と言われれば、カル・リプケンjrの「2632試合連続出場」とジョー・ディマジオの「56試合連続安打」を迷わず挙げるだろう。 1914年11月25日、イタリア系移民で貧しい漁師の9人兄弟の8番目として生まれたディマジオ。 兄の影響で小さい頃から野球を始め、マイナーでもその才能は群を抜いていました。 そして、1936年にヤンキースに入団。1年目から打率.323厘、29本塁打、125打点と大活躍しました。 その後も1939,40年に首位打者、1937,48年には本塁打王、1941,48年には打点王、1939,41,47年にはMVPと輝かしいばかりの成績を残しました。 しかしディマジオを語る上で欠かせないのは、1941年5月15日のホワイトソックス戦から始まった、永久不滅の大記録「56試合連続安打」でしょう。この記録の偉大さに気付いたのは、イチロー選手がメジャーリーグに渡ってからでした。2004年現在、イチロー選手のメジャーでの最多連続試合安打は「23試合」、半分以下です。通算安打数「4256安打」のメジャー記録保持者ピート・ローズでさえ「44試合」です。結局7月17日のインディアンス戦でK・ケルトナー3塁手のファインプレイで、この記録が途切れるまで、全米中がディマジオの連続試合安打の話題でもちきりでした。 記録が途絶えた翌日から再び16試合連続安打するなど、その精神力は並外れていました。 途中兵役で3年間メジャーリーグを離れましたが、1951年に引退するまで、ヤンキース一筋13年。その間ワールドシリーズに10度出場し、9度ワールドチャンピオンに輝きました。背番号「5」は当然ヤンキースの永久欠番となり、1955年に殿堂入りしました。 さらにディマジオは引退後も世間を「あっ」と言わせました。1954年1月に、当時はまだ新人女優であったマリリン・モンローと結婚しました。2人は新婚旅行で日本にも訪れましたが、同年10月に離婚しました。日本での新婚旅行時にマリリン・モンローばかりに注目が集まったため、2人の間がうまくいかなくなった事が原因だったと言われています。しかしディマジオは、マリリン・モンローが亡くなってから20年間、火曜から土曜まで毎日マリリン・モンローの墓前に赤いバラを供え続けました。 |
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ジョー・ディマジオ/生涯成績 | |
試合数 | 1736 |
安打 | 2214 |
本塁打 | 361 |
打点 | 1537 |
盗塁 | 30 |
打率 | .325 |
外野手、右投右打 | |
1936-1942/1946-1951年 (現役) | |
1914.11.25-1999.3.8 (生涯) | |
1955年殿堂入り |
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