
| 1947年4月15日、メジャーリーグ史上初の「黒人選手」がデビューした。彼の名は「ジャッキー・ロビンソン」。今となっては当たり前のように黒人選手が活躍していますが、彼が人種差別の壁を破らなければ現在の、バリー・ボンズや、サミー・ソーサも、メジャー記録の「755本塁打」を放ったハンク・アーロンもいなかったかもしれません。 現在はロサンゼルスを本拠地としているドジャースが、ニューヨークのブルックリンに本拠地を置いていた、ブルックリン・ドジャースに入団したジャッキーだったが、ジャッキーが入団した事で、黒人の選手とはプレイ出来ないと、数人の白人選手はチームを後にした。さらに相手チーム、ファンからも心無い野次が浴びせられ、対戦相手からは対戦拒否と、人種差別は想像を絶していました。 故意のスパイクでユニフォームが裂け流血した事もありましたが、ジャッキーは常に紳士的な態度をとり、プレイで周囲を黙らせていきました。世論もそんなジャッキーを徐々に認めていきました。1年目のこのシーズンは、2割9分7厘、12本塁打、29盗塁でこの年から制定された新人王に選ばれました。現在新人王が「ジャッキー・ロビンソン賞」と言われる由縁は初代新人王がジャッキーだったことからきています。 もちろんジャッキー1人の力では、人種差別の壁は破れなかったと思います。周囲の反対をよそに契約を推し進めたドジャースの当時オーナー、「ブランチ・リッキー」、オーナー会議で15対1で反対されながら、ジャッキーがプレイする事にGOサインを出した、当時のコミッショナー、「ハッピー・チャンドラー」、対戦拒否の場合は出場停止処分に処すと強硬な態度を貫いた、当時のナショナルリーグ会長「フォード・フリック」、彼らの内1人でもいなかったら、ジャッキーをはじめ、黒人選手がメジャーリーグでプレイする事はなかったかもしれません。 1997年4月15日、ジャッキー・ロビンソンがデビューして50周年のこの日、ドジャースvsメッツのゲームで5回終了後、当時のアメリカ大統領、「クリントン大統領」が記念式典に参加し次の言葉を残しました、「すべてのアメリカ人は、ジャッキーに感謝しよう。彼のおかげで、アメリカはより強く豊かな国になれた。次の世代の明るい未来のために、彼の遺産を大切にしていこう」と。 1962年には殿堂入りし、さらにジャッキーのつけていた背番号「42」は、ジャッキー・ロビンソンがデビューして50周年目の1997年4月15日にメジャー全チームで永久欠番になりました(永久欠番になる前から42番を付けていた選手は継続使用が許可されています)。 「4月15日はジャッキー・ロビンソンの日」とされ、この日だけは永久欠番の42番を付けることが許されており、多くのメジャーリーガーが42番を付けてプレーすることからも、ジャッキーの残した功績がいかに大きいかがうかがえます。 |
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| ジャッキー・ロビンゾン/生涯成績 | |
| 試合数 | 1382 |
| 安打 | 1518 |
| 本塁打 | 137 |
| 打点 | 734 |
| 盗塁 | 197 |
| 打率 | .311 |
| 二塁手・外野手、右投右打 | |
| 1947-1956年 (現役) | |
| 1919.1.31-1972.10.24 (生涯) | |
| 1962年殿堂入り | |
[ジョー・ジャクソン][ベーブ・ルース][ピート・ローズ][ハンク・アーロン][ジョー・ディマジオ]
[テッド・ウイリアムズ][タイ・カッブ][ルー・ゲーリッグ][サイ・ヤング][ロベルト・クレメンテ][ノーラン・ライアン]
[カール・ハッベル][カール・ヤストレムスキー][ヨギ・ベラ][ロジャース・ホーンスビー][レジー・ジャクソン][フランク・ロビンソン]
[ウォルター・ジョンソン][ゲイロード・ペリー][トム・シーバー][カル・リプケンjr]
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