ゲイロード・ペリー Gaylord Perry


 “スピットボール”つばをつけて投げる投球を意味するが、ボールに異物をつけたり、傷をつけたりする投球をまとめてこう呼ばれています。

 1962年にサンフランシスコ・ジャイアンツに入団したペリー。当初は速球派の投手としてならしたペリーですが、いつしか疑惑の投手に変貌していきました。

 メジャーリーグは1920年にスピットボールを禁止すると発表し、以降“スピッター”は現れませんでした。

 ペリーが投げるゲームでは、相手チームはもちろん、審判、観客全員がペリーの1球1球に息を飲む、違った緊張感がありました。

 そこまで疑惑がかけれていたペリーでしたが、何度も検査されながら中々尻尾をつかませませんでした。

 メジャー22年間で退場宣告を受けたのはマリナーズ時代の1982年レッドソックス戦だけでした。

 そのゲームでペリーは普通では考えられない鋭い変化球を投げ「今度投げたら退場」と主審に宣告されたにもかかわらず、再び鋭い変化球を投げ、ボールを検査される事なく即退場を宣告されました。

 1964,65年には日本人初のメジャーリーガ“村上雅則(マッシー村上)”とチームメイトとしてプレイし、後に村上も「ペリーはスピットボールを投げていた」と証言していますし、ペリー自身も後に認めていました。

 1975年にはインディアンスでプレイし、この年フランク・ロビンソンがメジャー史上初の黒人監督となるが、ペリーは「1ドルでもいいから年棒を黒人監督よりも高くしてほしい。そうでないとインディアンスでプレイしない」と造反し、レンジャーズに放出されました。

 常に疑惑の目を向けられていたペリーでしたが、数字は輝かしいばかりです。

 1969年にはノーヒットノーランを達成し、1972年にアメリカンリーグで、1978年にはナショナルリーグで、メジャー史上初の両リーグでのサイ・ヤング賞を受賞、最多勝3回(1970,72,78)、通算3534奪三振はメジャー歴代8位(2004年現在)、通算投球回数5350回と1/3はメジャー歴代6位(2004年現在)など、この数字がスピットボールのおかげでない事を願いたい。

 メジャー22年間で8チームを渡り歩き1983年に引退し、1991年に殿堂入り。殿堂入りまでに時間がかかったのは“スピットボール”が影響していた事は間違いないでしょう。

ゲイロード・ペリー サンフランシスコ・ジャイアンツ
クリーブランド・インディアンス ゲイロード・ペリー
ゲイロード・ペリー テキサス・レンジャーズ

ゲイロード・ペリー/生涯成績
試合数 777
投球回数 5350.1
314
265
セーブ 11
奪三振 3534
防御率 3.11
投手、右投右打
1962-1983年 (現役)
1938.9.15-(生涯)
1991年殿堂入り



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