「見えない球が打てるわけがない。」デビュー戦で対戦した球聖タイ・カッブにこう言わしめるほどウォルター・ジョンソンのストレートは威力十分でした。 1907年ワシントン・セネタース(ミネソタ・ツインズ)に入団したジョンソン。当時のセネタースは弱小チームの代名詞的な存在でした。 メジャー1年目は12試合に先発し、防御率1.88、5勝9敗の数字が示すとおり、とにかく打線の援護がありませんでした。 2年目、防御率1.65で14勝14敗。3年目、防御率2.22で13勝25敗と、あいかわらず打線の援護がなく数字はなかなか上がりませんでした。 それでもジョンソンはメジャー4年目の1910年に、防御率1.36で25勝17敗と初めて20勝を超えると、以降1919年まで10年連続20勝以上、1912年に33勝、翌1913年にはメジャー歴代4位の36勝を上げ、伝説の投手への階段を一気に駆け上がりました。 弱小チームゆえ、大舞台での登板の夢はなかなか叶いませんでしたが、メジャー18年目の1924年に初めてワールドシリーズの舞台へ登場したジョンソン。ジョンソン自身は勝ち星を上げる事は出来ませんでしたが、セネタースの創立以来初のワールドチャンピオンに大きく貢献しました。 最多勝6回(1913,14,15,16,18,24年)、最優秀防御率5回(1912,13,18,1924年)、最多奪三振12回(1910、12,13,14,15,16,17,18,19,21,23,24年)、MVP2回(1913、24年)と当時の投手タイトルをほぼ総なめにしました。 通算417勝はサイ・ヤングに次ぐ歴代2位、通算3508奪三振は1983年にノーラン・ライアンに更新されるまで、56年間破られませんでした。通算奪三振王12度は今なおメジャー記録です(当時は今ほどホームランも多くなく、振り回す選手も少なかったので、この記録はかなり価値があると思います)。 1913年には当時のメジャー記録、55イニング2/3連続無失点の記録(オーレル・ハーシュハイザーが1988年に記録した59イニングがメジャー記録、2004年現在)も作るなど、メジャーの投手記録を語る上では欠かす事の出来ない偉大な投手です。 引退後はセネタースとインディアンスで計7年監督も努めましたが、1930年の2位が最高で、チームを優勝に導く事は出来ませんでした。 ちなみにニックネームの“人間機関車”とは、当時早いものの代名詞は爆音を上げて走る巨大な列車の事で、そこからきています。 |
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ウォルター・ジョンソン/生涯成績 | |
試合数 | 802 |
投球回数 | 5914.1 |
勝 | 417 |
負 | 279 |
セーブ | 34 |
奪三振 | 3508 |
防御率 | 2.17 |
投手、右投右打 | |
1907-1927年 (現役) | |
1887.11.6-1946.12.10(生涯) | |
1936年殿堂入り |
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