
| 1977年のワールドシリーズはレジー・ジャクソンの独り舞台でした。 1967年にカンザスシティ・アスレチックスでメジャーデビューしたジャクソン。1年目こそ35試合の出場で、打率.178、1本塁打に終わりましたが、翌年オークランドに移転したチームで、ライトのレギュラーの座を勝ち取り、29本塁打を放つと、翌1969年には開幕から打ちまくり、ロジャー・マリスの当時シーズン最多本塁打「61本塁打」を更新するのではないかと期待されましたが、後半失速し「47本塁打」に終わりました。 チームは1972年からワールドシリーズ3連覇を成し遂げ、ジャクソン自身は1972年こそケガの為出場できませんでしたが、73,74年と、チームの3連覇に大きく貢献しました。 1975年に2度目の本塁打王を獲得するも、チームがワールドチャンピオンを逃すと、オリオールズに放出されました。 1年オリオールズでプレイした後、FA権を行使しヤンキースと5年290万ドルで契約、ピンストライプのユニフォームに袖を通す事となりました。 しかし個性的なジャクソンはビリー・マーチン監督と度々衝突し、9月には途中交代を巡って取っ組み合いのけんかが全米中継されたりもしました。 それでもヤンキース1年目からジャクソンは32本塁打、110打点をマークし、ヤンキースをワールドシリーズに導きました。 この1977年のワールドシリーズはジャクソンを語る上で欠かせないシリーズとなりました。 対戦相手は就任1年目のトミー・ラソーダ監督率いるロサンゼルス・ドジャース。ジャクソンは5戦目まで、打率.353、2本塁打の活躍で、ヤンキースが3勝2敗で王手を賭け、ヤンキースタジアムでの10月18日の第6戦に向かいました。 56407人、超満員のヤンキースタジアム。ドジャース1点リードで迎えた4回裏、ドジャース先発バート・フートンから初球をライトへ逆転2ラン、さらに5回裏にはエリアス・ソーサからまたしても初球をライトへ、8回にはチャーリー・ハフからまたしても初球を叩き、ベーブ・ルース以来のワールドシリーズ1試合3本塁打をマークし、シリーズ5本塁打はいまなおメジャー記録です(2004年現在)。 ジャクソンの大活躍で15年ぶりにワールドチャンピオンに輝いたヤンキース。ファンはワールドシリーズに強い男レジー・ジャクソンをいつしか“ミスター・オクトーバー”と呼ぶようになりました。 翌1978年もワールドチャンピオンに輝いたヤンキースで、ジャクソンは1981年まで5年間プレイしましたが、ヤンキース名物オーナー、“ジョージ・スタインブレナー”とも最後は喧嘩別れという形でカリフォルニア・エンゼルスに移籍しました。 1987年にメジャーデビューしたアスレチックスに復帰し、この年限りで21年間のメジャー生活にピリオドを打ちました。 本塁打王4回(1973,75,80,82年)、打点王1回(1973年)、MVP1回(1973年)を獲得し、何と言ってもジャクソンと言えば豪快なスイングの三振でした。21年間で積み重ねた三振は1968年から13年連続100三振以上、21年間で100三振以上が18度を含む「2597三振」はもちろんメジャー記録です。 1993年に殿堂入りし、式典ではヤンキースの帽子を選んだジャクソン、ヤンキース時代につけていた背番号「44」は、黒人選手としてはヤンキース史上初の永久欠番となりました。 |
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| レジー・ジャクソン/生涯成績 | |
| 試合数 | 2820 |
| 安打 | 2584 |
| 本塁打 | 563 |
| 打点 | 1702 |
| 盗塁 | 228 |
| 打率 | .262 |
| 外野手、DH、左投左打 | |
| 1967-1987年 (現役) | |
| 1946.5.18-(生涯) | |
| 1993年殿堂入り | |
[ジャッキー・ロビンソン][ジョー・ジャクソン][ベーブ・ルース][ピート・ローズ][ハンク・アーロン][ジョー・ディマジオ]
[テッド・ウイリアムズ][タイ・カッブ][ルー・ゲーリッグ][サイ・ヤング][ロベルト・クレメンテ][ノーラン・ライアン]
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