人類で始めて「100マイル」(約161キロ)の壁を破った投手こそ、“ザ・エクスプレス”と称されたノーラン・ライアンです。 1966年ニューヨーク・メッツに入団したライアンですが、その才能を開花していったのは、1972年にカリフォルニア・エンゼルスに移籍してからでした。 移籍1年目の1972年に19勝を上げ、329奪三振で初の奪三振王に輝き、1974年には100.9マイル(約162キロ)と人類史上始めて「100マイル」の壁を超え、“カリフォルニア・エクスプレス”と呼ばれるようになりました。 当時のライアンは、球は速いがコントロールはおせじにもいいとは言えず、「三振かフォアボール」というピッチングでした。それでも1979年までエンゼルスに在籍した8年間で、7度(1975年を除く)奪三振王を獲得し、1973年に記録した“383奪三振”は今なおメジャー記録です。 1979年にFAの権利を取得すると、投手としては初の年棒“100万ドル”でヒューストン・アストロズに移籍しました。 アストロズには1988年まで8年間在籍し、1987,88年の2度奪三振王を獲得し、1981,87年には最優秀防御率にも輝きました。 1989年からはテキサス・レンジャーズに移籍し、1989,90年と2年連続奪三振王を獲得し、40歳を過ぎてもまだまだ剛速球で押すピッチングは健在でした。 デビューから一貫してストレートにこだわったライアンも1993年、27年間の現役生活にピリオドを打ちました。 通算「5714奪三振」はメジャー歴代ダントツの1位で、通算7度のノーヒットノーラン(1973年に2回、74,75,81,90,91)も当然メジャー記録です。また1安打ピッチングも12度、通算奪三振王11度はウォルター・ジョンソンの12度に次ぐ史上2位と、ロジャー・クレメンス投手が憧れたのもうなずけます。 しかし世の中には不思議な事があるものです。これほど数々の記録を残したライアンでしたが、1度も「サイ・ヤング賞」には縁がありませんでした。 また現役生活27年間でワールドシリーズに出場したのは、まだ本格化する前の1969年のメッツ時代、第3戦リリーフで登板した1試合だけでした。2イニング1/3を2四球、3奪三振、無失点に抑えセーブを記録しました。この年はメッツ創立史上初のワールドチャンピオンに輝き“ミラクルメッツ”と騒がれました。優勝パレードでは「ニューヨーク地方晴れ、所により紙吹雪」と有名なフレーズを残しました。 エンゼルス時代の背番号「30」、アストロズ、レンジャーズ時代の背番号「34」はいずれも永久欠番で、3チームでの永久欠番は後にも先にもライアンただ1人だけで、1999年に史上2位の得票率98.79%(1位は1992年トム・シーバーの98.84%)で殿堂入りとなりました。 |
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ノーラン・ライアン/生涯成績 | |
試合数 | 807 |
投球回数 | 5386 |
勝 | 324 |
負 | 292 |
セーブ | 3 |
奪三振 | 5714 |
防御率 | 3.19 |
投手、右投右打 | |
1966-1993年 (現役) | |
1947.1.31-(生涯) | |
1999年殿堂入り |
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[ジャッキー・ロビンソン][ジョー・ジャクソン][ベーブ・ルース][ピート・ローズ][ハンク・アーロン][ジョー・ディマジオ]
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