岩隈 久志 |
1981年4月12日・東京都生まれのAB型 |
堀越高⇒大阪近鉄バファローズ⇒オリックス・バファローズ⇒東北楽天ゴールデンイーグルス |
⇒シアトル・マリナーズ |
2010年オフにポスティングシステムによりメジャー移籍を目指すも交渉決裂 その翌年海外FA権を行使しメジャーへ |
2010年オフにポスティングシステムによりメジャー移籍を目指し、オークランド・アスレチックスが1910万ドル(約15億9,000万円)で落札し、独占交渉権を獲得しましたが、アスレチックスと岩隈側の交渉が決裂し、楽天残留が決まりました。ポスティングシステムで落札チームがあったにもかかわらず、交渉が決裂したのは初めての事となりました。 ポスティングでのメジャー移籍が叶いませんでしたが、翌年の2011年に海外FA権を取得し、FA権を行使。そして2012年1月5日(現地時間)シアトル・マリナーズと1年150万ドル(出来高含めると最高490万ドル)で契約合意。 しかしスプリングトレーニングで結果がでず、開幕はローテーションから外れブルペンへ。そして4月20日(現地時間)開幕15戦目、ホワイトソックス戦に3番手で初登板。4回を投げて被安打1(ホームラン)、四死球1、奪三振2、失点1とまずまずのデビュー戦となりました。 その後も中継ぎでの登板が続きましたが、登板したゲームではきっちりと結果を残し、7月以降は先発ローテーション入りを果たし、結局9勝を挙げ、防御率も3.16と素晴らしい数字を残し、メジャー1年目を終えました。シーズン終了後FAとなりましたが、後半戦の安定したピッチングが認められ、マリナーズと2年総額1400万ドル(3年目は球団オプション)で再契約しました。 2年目は先発としてスタートし、シーズン序盤から安定したピッチングでオールスターにも選出(オールスター2日前に登板したためオールスターでの登板はなし)。チームが相変わらず低迷する中、終わってみれば防御率は2.66とアメリカンリーグ僅差の3位、先発して6イニング以上を投げ、自責点0に抑えながら勝ち星が付かなかったゲームが5試合もあり(2005年のロジャー・クレメンス以来のレアケース)、またサイ・ヤング賞ではマックス・シャーザー、ダルビッシュに次ぐ3位に選出されるなど、打線の援護に恵まれない中、我慢のピッチングで1年間ローテーションを守り素晴らしい成績でメジャー2年目を終えました。 メジャー3年目、岩隈はスプリングトレーニング中に右手中指を痛め、開幕に間に合わずDL入りで開幕を迎えましたが、5月に復帰すると、相変わらずの素晴らしい制球力を武器に、フェリクス・ヘルナンデスと共にマリナーズの投手陣を牽引し、打線は10年2億4千万ドルでヤンキースから加入したロビンソン・カノの活躍もあり、ここ数年低迷したチームもプレーオフ争いに加わり、最終戦でマリナーズが勝ち、アスレチックスが負ければワイルドカード2席目をかけた1ゲームプレーオフでしたが、アスレチックスが勝ったため、結局僅か1ゲーム差でワイルドカードでのプレーオフ進出はならず。岩隈も後半戦に崩れるゲームが何度かありましたが、それでもほぼ1年間ローテーションを守り、自己最多の15勝を挙げ、マリナーズとの2年契約が終了。3年目はチームオプションとなっていましたが、ワールドシリーズ終了の翌日にマリナーズはオプションを行使することを発表し、アメリカ4年目もマリナーズでプレーすることとなりました。 マリナーズでの4年目。期待が大きかった岩隈ですが開幕から3連敗すると、右広背筋の炎症で約2か月半DLに入り戦線離脱。DLから復帰2戦目で今シーズン初勝利を挙げると、低迷するマリナーズからプレーオフを目指すチームへのトレードも噂されましたが結局マリナーズに残留。そして8月12日(現地時間)のオリオールズ戦(セーフコフィールド)で日本人選手としては野茂以来となるノーヒットノーラン(9回無安打、四球3、奪三振7)を達成。結局9勝止まりで3年連続二桁勝利はなりませんでしたが、岩隈の評価は高く、シーズン終了後FAとなり、ロサンゼルス・ドジャースと3年4500万ドルで契約合意寸前まで行きましたが、メディカルチェックで異常が見つかり、ドジャースとの契約が白紙となり、結局マリナースと1年契約で合意しました。 メジャー5年目、岩隈はシーズンを通してローテーションを守り、防御率こそ4.12と自己ワーストでしたが、キャリアハイの16勝を挙げ、シーズン終盤までプレーオフ争いを演じたマリナーズ投手陣を引っ張り、地元メディアからはロビンソン・カノ(.298、39本塁打、103打点)と並びA評価を与えられてシーズンを終えました。また199イニングを投げたことによって、162イニングでマリナーズと契約更新となるオプションがあったため、自動的に来期もマリナーズでプレーすることとなりました。 メジャー6年目、エースのヘルナンデスに次ぐ2番手として活躍を期待されましたが、開幕から勝ち星を挙げることができないまま5月3日に右肩の違和感でDL入り。当初は1ヶ月ほどで戻ってくる予定でしたが、回復が遅れ、ついに9月末に右肩の手術に踏み切り(翌2018年シーズンの開幕に間に合うかは微妙)、結局2017年シーズンは勝ち星を挙げることができず、またマリナーズもプレーオフへ進むことはできませんでした。シーズン終了後にマリナーズは来期のオプションを行使せず岩隈はFAとなり、11月末にマリナーズとマイナー契約を結び直しメジャー復帰を目指すこととなりました。 マリナーズとマイナー契約を結びメジャー復帰を目指していた岩隈ですが、メジャーどころかマイナーでの登板も叶わず9月にマリナースを退団することが発表されました。 |
所属チーム | 試合 | 勝 | 負 | S | 奪三振 | 防御率 | タイトル | |
▼ 日本時代 ▼ | ||||||||
近鉄(2001年) | 9 | 4 | 2 | 0 | 25 | 4.53 | ||
近鉄(2002年) | 23 | 8 | 7 | 0 | 131 | 3.69 | ||
近鉄(2003年) | 27 | 15 | 10 | 0 | 149 | 3.45 | ||
近鉄(2004年) | 21 | 15 | 2 | 0 | 123 | 3.01 | 最多勝 | |
楽天(2005年) | 27 | 9 | 15 | 0 | 124 | 4.99 | ||
楽天(2006年) | 6 | 1 | 2 | 0 | 16 | 3.72 | ||
楽天(2007年) | 16 | 5 | 5 | 0 | 84 | 3.40 | ||
楽天(2008年) | 28 | 21 | 4 | 0 | 159 | 1.87 | 沢村賞・MVP・最多勝・最優秀防御率 | |
楽天(2009年) | 24 | 13 | 6 | 0 | 121 | 3.25 | ||
楽天(2010年) | 28 | 10 | 9 | 0 | 153 | 2.82 | ||
楽天(2011年) | 17 | 6 | 7 | 0 | 90 | 2.42 | ||
近鉄〜楽天(2001〜2011年) | 226 | 107 | 69 | 0 | 1175 | 3.25 | 最多勝2回/最優秀防御率1回/オールスター3回 | |
▼ メジャー ▼ | ||||||||
シアトル・マリナーズ(2012年) | 30 | 9 | 5 | 2 | 101 | 3.16 | ||
シアトル・マリナーズ(2013年) | 33 | 14 | 6 | 0 | 185 | 2.66 | オールスター出場 | |
シアトル・マリナーズ(2014年) | 28 | 15 | 9 | 0 | 154 | 3.52 | ||
シアトル・マリナーズ(2015年) | 20 | 9 | 5 | 0 | 111 | 3.54 | ノーヒットノーラン | |
シアトル・マリナーズ(2016年) | 33 | 16 | 12 | 0 | 147 | 4.12 | ||
シアトル・マリナーズ(2017年) | 6 | 0 | 2 | 0 | 16 | 4.35 | ||
シアトル・マリナーズ(2018年) | 登板なし | |||||||
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